【 大阪大学医学部放射線技術科学学科 合格 金沢泉丘 現役 】

私は小6から中1の春にスタハに入塾しました。高校の勉強にもついていけるようにとよく中学の時点で聞いていてたくさん勉強し、その勉強する習慣を身につけて泉丘高校に入学しました。

中3のときから高校の勉強は本当に大変でずっと勉強しても難関大合格は難しいことだと聞いていたため 中学時代に身につけていた勉強する習慣を継続して割と高校の勉強でも成功することができました。高3になってからは数学、理科が得意だったので自信があったのですが 模試の問題も次第に難しくなりショックを受けました。そこで勉強のペースをさらに上げてもなかなか結果がついて来ず焦っていました。

それでも勉強をする他に焦りや不安を解消する方法はないので伸びることを信じて勉強し続けました。記述模試などでは学年で数学、理科で10番程度取れるようになりあまり得意でなかった英語も春から継続してきたので秋にはかなり伸びて戦えるレベルに持っていけました。マークは苦手でずっと対策してきても伸びませんでした。

年明けから本格的にマーク対策を始めてスタハのおかげで休みの日や正月なども朝から晩まで勉強できる環境が整っていたのでずっと勉強できたけどなかなか伸びず ぶっつけ本番で臨んだセンター試験で 自己ベストを80点上回り 6月のマーク模試と比べて 130点も伸ばせました。泉丘高校では 平均して100点しか6月のマーク模試の点数から伸びないことを聞いていたので驚きました。

二次試験でもまた、気をぬくことなく勉強して大阪大学を受験しました。模試ではA判定を取り続けていたのですが 中学受験で錦中を不合格となっていたのでかなり受験に対して不安を感じやすくなっており、かなり緊張しました。それでもずっと高1から継続して勉強してきたので なんとか合格することができました。中学受験を失敗はしたもののそのおかげで県一の進学校の泉丘高校に進学でき その恵まれた環境で充実した高校生活を送ることができ 放課後は 塾生が勉強に集中できるように 整えられたスタハで勉強でき 様々な講師の先生からアドバイスをもらったり 添削をお願いでき また家族の協力もあり合格できたと思っています。

両親、学校の先生、塾の先生、友達など受験期に協力してもらったり 支えたりしてくれた全ての方々に感謝したいです。受験校が早い段階で決まっていたら力がつき次第 過去問にもどんどん取り掛からないとセンター語では時間が足りないかもしれません。現役は最後まで伸びる(最後に伸びる)という言葉を信じて受験生は頑張ってください。

苦しくも 楽しく 充実した受験生活をありがとうございました。

【 東京工業大学 第6類 合格 金沢泉丘 現役 】

僕は小6の時からスタハに通っていました。中学受験で錦丘中学校を受けましたが不合格でした。でも、今振り返ってみればあの時合格していたら泉丘に入ることはできなかったし、東工大に合格することはできていなかったと思います。そういう意味では、あの不合格は自分にとって結果的には良い経験になりました。

高校受験は無事に泉丘高校に入ることができました。高校に入ってからは数学は上の方にいましたが、国語が壊滅的な状況でした。そこで、それまで志望校をはっきり決めていませんでしたが、高2の冬くらいに英語、数学、物理、化学だけで勝負できる東工大を志望することにしました。高3になって部活を引退してからは受験勉強に集中できるようになりましたが、自分は英語の単語・文法がまだ完成していなかったので、その前の段階でもっとやっておけば良かったと思いました。

数物化は学校で買った問題集を繰り返し解き、その合間に英語の長文や単語をしました。また、学校の授業を疎かにしないように学校で与えられたプリントや添削の問題は優先してやるように心がけていました。赤本も各大学の出題傾向や頻出分野を知るためのとても良い材料になると言われていたので各教科15年分のものをやりました。やり始めたのはセンター試験後でしたが、終わるのがかなりギリギリだったので、もう少し早く始めたらいいと思います。

スタハは自分にとって本当に快適な勉強場所でした。スタハの先生方は自分たち生徒に対して優しく、真摯に向き合ってくれます。また、周りの人が頑張っている姿を見て自分も頑張ることができました。僕はこじんまりしたところで勉強する方が好きだったので、家が近いということもあり、特に高3の時はずっと高尾台校に通ってできるだけ長い時間勉強しました。こんなに恵まれた環境で勉強できたおかげで合格することができたと思っています。両親、友人、学校や塾の先生方、他にも自分を支えてくれた多くの人に感謝したいです。

塾長コメント

この子が 錦丘中学を落ちた時のことを当然覚えている。ご両親の悲しみの顔、そして 彼が一歩前にいて一番前にいた。。。

そして 落ちたことを伝えてくれた。この純粋で素敵な家庭をさらに守ることを決意した瞬間だった。それからの彼の変貌ぶりは凄まじかった。

小学生以上に勉強をしっかり習慣づけてやっていた。素敵なライバルもたくさんできてみんなで泉丘に合格していった。そして その素晴らしいライバルたちと今度は泉丘のSGコースを目指した。

数学は申し分なく伸びた。国語が足を引っ張りSGコースの夢は敗れた。ただ 当然彼は 諦めない。泉丘の普通コースでクラス1位を取るようにいつしかなっていた。そして国語と社会のいらない東工大に狙いを定め猪突猛進。苦手の英語を克服しつつ武器の数学を磨き続けた。

そして念願の東工大合格。東工大は東大の数学より遥かに難しい。その数学の過去問を一緒に1年前にした。

彼 「先生 一つもできませんでした。。。。。」そのころ 泉丘で 数学1桁に入り始めていたのでそれでも届かないのか 東工大はと正直思った。そこからスタートの見事合格。

彼は 6年前の錦丘中の入試の結果のリベンジを果たすことができた。足掛け7年の付き合い。彼のことは 何でも知っている。正直で誠実で努力を惜しまず友達思いのナイスガイだ。彼を誇りに思う。

ご両親がいつも彼とスタハを信じ続けてくれた。スタハ創世記の何も実績がない時から(創業して8年と1週間です)ひたすら私個人を信じてくれた。いつもいつも信じてくれた。。。。熱い思いでいっぱいだ。こちらこそ、こんなに素晴らしいご家族と知り合えたことは一生の財産です。

本当にありがとうございます。継続は力なり。今 この言葉を噛みしめている。。。

ありがとう

【 富山大学工学部電気電子工学科 合格 錦丘 現役 】

私は金沢大学を目指しておりセンターでおよそ30点足りなくて富山大学に変更しました。スタディハウスには高校3年生の春から入り始めました。この大学受験を通して言えることはやはり準備の早い者が戦いにおいてアドバンテージを持っているということです。

私は高校1年生のときクラス最下位付近で高校2年生で勉強を始めましたが当然1年サボっていたわけですからあまり伸びず高校3年で入塾を決めました。入ってまず驚いたことは塾にいる人のほとんどが小学校中学校の時から通っていることでした。もちろんその人達は頭も良く高校1年、もっと言うと中学3年生の頃から高校の勉強をしているため学力の差は圧倒的でした。継続するということは人生どんな時でもアドバンテージになりうるものです。そのような人達が多くいるのがスタディハウスという場所です。

私はこの塾から,この塾の生徒から,継続を学び高みを目指すことを学びました。つまずいた時は心強い野々市,高尾台校舎の先生がサポートしてくれました。そのおかげで苦手だった(元は4割ほど)物理も9割8割が安定してとれるようになり2次試験でも自己採点で8-9割とれて入試において強い得点源になりました。

苦手なことでも分かれば楽しいことに変わりはありません。反面教師になりますが私のようにまだ時間があるからといって継続を怠ったりしないようにしてください。そして得意教科は最後まで自分の味方になってくれます。自分の得意な刃を磨きつつ他の刃を巧く磨くことで自分にさらに自信がつくと思います。偉そうに言える立場ではありませんが、自分が失敗した分を下級生には頑張ってほしいです。来年のスタディハウスの実績を楽しみにしています。

塾長コメント

スタート遅かったけど何とか国公立大学間に合ったね。よく努力していました。感動しました。

高1や中学からスタハでしていれば 金大に届いたでしょうね。難関大も 行けたかもしれませんね。素晴らしい逸材です。努力という武器を仕入れた 彼の今後に期待しています。「大学院入試」で ぜひ 帝大を目指してください。

スタハ講師の先輩方のように 高みを目指してください。

【 神戸大学工学部応用化学科 合格 泉丘 現役 】

私は中2のときにスタハに入りました。その時からずっとスタハで勉強してきました。私は家で全く勉強できないので、いつ行っても好きな時間だけいることができるスタハはとても良かったです。

高1のときに泉丘校ができるまではなかなか通いづらかったけれど、泉丘校ができてからは学校帰りに寄ることができるようになって毎日通えるようになりました。いつ行っても誰かがいて自分も頑張ろうと思えました。自分の勉強が好きなだけしたいという人にとってスタハは最高の勉強場所だと思います。

私はスタハで努力の大切さを学びました。優しく、わかりやすく教えてくれた塾の先生方、学校の先生、両親、友達、私に関わってくれた全ての人に本当に感謝しています。

塾長コメント

彼女は 本当に頑張り屋さん。5年間ずっと努力してきた。

泉丘校舎を彼女たちのために作りました。悲願でした。動線上に塾を作り少しでも多くの勉強時間が確保できるように工夫しました。

高校は「膨大な量」をこなさないといけないので、時間がダイヤモンドのように貴重です。無駄を一切省いて「演習中心」の授業スタイルですがそれでも時間が足りないのが高校です。去年の大雪の日にもずっと開けて習慣の維持に努めました。

学校が「大雪で休校」になっても開けました。彼女はついてきてくれました。しっかり努力を続けた彼女を誇りに思います。本当にありがとうございます。出会いに感謝。

【 東北大学工学部 機械知能・航空工学科 推薦合格 金沢泉丘 現役 】

塾長コメント

変わらなかったことは 量をこなすこと。印象的な言葉でした。彼も金沢泉丘SGコースです。中1からずっとスタハで勉強していました。

最初は 壁を見ながら(笑)勉強する子でした(笑)ノートは取らずに(笑)だんだん書くようになって嬉しかったです(笑)大学院は東大を視野に入れているとか。彼なら行けるでしょう。

【 神戸大学 法学部 合格 金沢泉丘 現役 】

私がスタディハウスで勉強を始めたのは、高2の3月からでした。入ってみると中学や高1からスタハに在籍していた生徒が多く、私ももっと早くから通って勉強を習慣づけていればよかったなと少し後悔しました。スタハでは受験生以外にもたくさんの中高生が毎日来て一生懸命勉強しているので、その姿を見て私も苦手な勉強を継続する努力をすることが出来ました。

センター後は時間がかかって難しい記述の勉強を一日中続けて、できない問題ばかりでとても不安でしたが、絶対に受かりたいと思い続けて頑張りました。

スタハで多くの他の生徒や先生方から刺激を受けたおかげで 目標だった大学に合格することができて、とても嬉しいです。下級生の皆さんにもぜひ今の努力を継続してもらって、大学合格を勝ち取って欲しいです。ありがとうございました。

【 神戸大学法学部 合格 金沢泉丘 現役 】

僕が今、高校生活をやり尽くし、合格を掴み取って入学を楽しみに待っていられるのはスタハのおかげです。僕は錦丘中受験で補欠合格でしたが最下位が嫌だったので蹴って、もっといい高校を目指そうと決めました。そして中3の時、スタハと出会いました。初めて辰村先生と面談した時のことは印象が強く、今も鮮明に覚えています。そこで出会った友達と切磋琢磨しあって、泉丘高校に合格することができました。

この時に浮かれずに、スタハの先生たちに高校に入るまでの春休みの勉強が今後を決めるんだ、と言われ頑張りました。特に辰村先生からはSGコースの話をずっと聞いていたので、なんとかしてSGコースに入れるように一年生の時は努力しました。二年生で念願のSGコースに入ることができ、僕の世界は何倍にも広がりました。

日々の探究活動に加え、京大訪問やアメリカでの研修旅行もそうですが、特に素晴らしい友人や先生方がいたからです。刺激を受けまくりの二年間、そして迎えた受験生活でした。毎日学校で残って勉強してからスタハで9時過ぎまで勉強しました。成績は思うようには上がらず辛い日々が続きました。それでも、夜までスタハで勉強に打ち込めたのは他でもない、スタハの友達と先生たちのおかげです。彼らに勉強の質問をするだけでなく、いつも励ましてもらいました。

しかし現実は想像以上に厳しく、センター試験では失敗してしまい、目標に50点以上とどかず、志望校も神戸に変えました。この時に先生に何度も相談に乗ってもらい、背中を押され、めげずに頑張れたからこそ、今僕は合格できたのだと思います。今、これからの新しい人生にワクワクが止まりません。

僕は主に高尾台校と泉丘校に約四年間行っていましたが、スタハの良さは何と言っても温かさだと思います。勉強にはとことん打ち込めるし、先生と生徒の繋がりは密だし、勉強を聞く時は何でも、分かりやすくしかも理解できるまで何度でも教えてくれます。しかも人間的にも素晴らしいとしか言えない先生ばかりです。勉強に打ち込むのと、人としての成長ができる塾だというのは本当です。ただし、ここで一番大切なのは強い意志とやる気です。これがないと、何も始まりませんから。

塾長コメント

彼も中3からずっと勉強していた。高校入試後ももちろんスタハの泉軍団とそのまま演習を続けていた。

習慣を崩さなかった。素敵なナイスガイです。

【 金沢大学理工学域地球社会基盤学類 合格 星稜B 現役 】

僕がスタハ入ったのは3年の4月です。1,2年の頃は家で勉強したり学校に残って勉強したりしてました。当時、家での勉強は集中が全然続かず、学校ではそもそもクラスの雰囲気が受験ムードではなく放課後はうるさくなってしまうことが多々ありとても勉強に集中できる環境ではなかったのでとても困っていました。

そんな中でスタハに行ってみると小学生から高校生までみんなが黙々と自分の勉強をしている光景がありました。ここは自分に最適の場所だと確信しました。

またいつ来てもいつ帰ってもいいというシステムでかなりの勉強時間を確保でき、金大医学部の優秀な先生方から志望校の様々な情報を教えてもらい、勉強に関するアドバイスもしてもらうことで今自分が重点的に取り組むべきことが分かり、今後の方針を立てることもできました。

正直この1年は、特に最後の2か月はかなりきつかったです。ですがスタハの良い環境があったおかげで何とか耐えることができました。

スタハでの勉強は全て合格に結び付いたと僕は思います。だからこの環境を与えてくれたスタハの先生方や、通わせてくれた両親、お世話になった学校の先生には本当に感謝しています。1年間ありがとうございました。